新年が始まると、神社には人が大勢詰めかける。祭られている神様に、お願いをするために。
試験に受かりますように。
健康でいられますように。
商売がうまくいきますように。
本当に神様は大挙してやっくるすべての人のお願いを聞き届けられるのかとも思うが、お参りしたという事実が、願いが叶うかもしれないという安心感を与えてくれるのではないかとも思うのだ。
そして、多くの参拝者が境内にあるおみくじを引く。今年一年を占うために。大吉なら、今年一年幸運だとか、小吉ならちょっと残念と言って、年の行く末を案じたりする。
でも、多くの人が誤解しているのだけれど、おみくじは占いではないのだ。
おみくじに書かれているのは、神様からの言葉であるとのこと。だから、大吉や小吉といったことに一喜一憂せず、生活の中でおみくじに書かれていたことを生かしなさい、ということだそうだ。
だから、おみくじの番号を引くときは特別な力が及んでいる気がするのだ。すでにたくさん用意されているおみくじの中から神様が助言として授けてくれるのだから、番号が書かれた棒を引く瞬間も、神様がおみくじ箱から一番ふさわしい棒が出るようにしてくれているように感じて、念入りに振ってしまう。出てくる番号は、偶然の産物のはずだが、神社という場所が、もしかしたら神様がくれた番号かもしれないと思ってしまうのだ。
おみくじ箱から番号を引く女の子がいた。彼女はしばらく棒を見つめて番号を覚えると、箱を台に静かに置いた。彼女がこれから買うおみくじに、いい事か、それとも悪い事が書かれているかはわからない。でも、嬉しいことが書かれていると信じている様で、楽しそうだった。
それでいい、と思う。それは予言ではなくて、助言なのだ。それを生かせばきっと、うまく行くだろう。