神に仕える女性の肖像

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巫女の肖像

 正月、新年の参拝客が絶えることなく門から本殿へと流れていた。途切れることのない人の波の合間から、時折鮮やかな朱色が目に写った。それは歩くたびに波打つ巫女の袴のものだった。
 彼女は境内を歩く間に何度も呼び止められていた。カメラのシャッターを押しくれるように頼まれ、道を聞かれていた。それら一つ一つに笑顔で応対する姿が、巫女装束との相乗効果も相まってとても可愛く見えた。
 白衣の白が清潔感を漂わせ、袴の朱色が力強く映った。髪は後ろで束ねられ、装飾品は一つもない。それがシンプルに整えられている様に見えて、神に仕える厳かさをを感じさせた。一方で、その飾り気のない女性が参拝客に笑顔を向けている姿が、純然とした可愛さを放っているようで、美しく見えた。
 神社には多くの人がやって来る時期がある。神事が行われる時や、お正月である。その時には、神社としての仕事も増えることだろう。迷った人を案内しなければならないし、おみくじやお札を買う人も多い。
 特におみくじなんかは、新年最初に今年の運勢を試そうと占いの様に参拝客の多くが買っていくのだから、次から次へとやって来る客を捌くには、相応の巫女がいなければ追いつかないだろう。
 しかし、である。そもそも巫女っていうのは祈祷したり、神のお告げを聞いたりする人のことではないのだろうか?神社の境内には多くの巫女が働いているが、全員が神事を執り行っているわけではないだろう。でも、巫女装束で勤務しているというのは、なんだか神社の空気を作り出すための演出のようにも感じられる。
 でも、神社で働くということは、神に仕えることでもある。そう考えるならば、祈祷をしていなくても神社で働く女性はみんな巫女に違いない。そして、それは同時に、僕らが神社に求めているものでもあるのだ。
 例えばおみくじを買う時に、手渡してくれる人が参拝客と同じような服装だったらどう感じるだろうか?
 おみくじとは神様からの言葉である。だから、渡される瞬間もおごそかな雰囲気がなければそう感じることは難しいだろう。そう、彼女たちが巫女装束に身を包んでいるからこそ、渡されたおみくじを特別な”お告げ”として受け取れるのだ。
 すべてにおいてそれが言える。ひとたび神社に足を踏み入れたら、すべてのことについて、僕らは霊験あらたかな雰囲気を感じていたいのだ。彼女たちが神事を執り行っていないとしても、巫女として存在していることで神社の境内が神様の領域であって、神聖な場所であることを示しているに違いないのだ。

 再び彼女は歩き始めた。袴を翻しながら歩く姿が凛々しく映える。
 境内の時計を見ると、彼女は歩みを早めた。現代の巫女は時間に追われるのだ。